南インド古典舞踊バラタナティヤム|山元彩子:プロフィール

Profile

自己紹介

インド舞踊と私

私は《踊る》という表現方法が大好きです。直に身体を使うため、ダイナミックでありながら、オブラートに包んだように、ふんわりと踊り手の心を伝えられます。押し付け過ぎる事なく、解釈は皆さんにお任せします。一方通行に思われがちですが、会場全体と皆さんと、一体になる事を大切にして踊っています。

1993年にバラタナティヤムと出会い、2013年で、早くも20年目を迎えました。20周年を迎えた心境は、嬉しい訳でもなく、めでたい訳でもありません。しかし、バラタナティヤムと距離を置いて、今の自分の立ち位置を知ろうとし、20年間辿ってきた道を振り返る事が出来るようになりました。

世界でも有数な厳格なる型を持つ、ヒンドゥー教という宗教に深く根づいた、極めて難しい古典舞踊バラタナティヤムに出会ってしまってから、一日も踊りを考えない日はありませんでした。運命は、迷う隙さえ与えてくれず、まるでジェットコースターに乗せられたように...

長い登り坂は心臓が飛び出るほどドキドキする。突然、視界が開けた途端、急降下し、どんなに泣き叫んでも止める事はできません。一回転するレールの頂点で、まさかの故障...今私は宙吊りの状態かもしれません!苦しい事も沢山ありました。でも、私の手の中には、何にも変え難い宝の山があります。これからの課題は、この宝の山をどう活かしていくかです。使わなくてはただのガラクタの山です。

ゴダイゴが歌った《ガンダーラ》は「そこに行けばどんな夢も叶うという、だれも皆、行きたがるが、悠な世界...」と歌われています。私もガンダーラを捜し求めていたのかもしれません。もう、捜し求めるのは止めて、私の持っている宝箱の中身を皆さんにお見せいたします。きっと見たことのない驚きの宝が沢山です。

ヌリッティヤ ラクシャナ ジャパンとしての公演活動にはこだわりを持っています。多くの皆様に会場にお越し頂き、踊りを直に体験して頂きたいと願っております。また、踊り以外の表現にはあまり自信がありませんが、ブログもやっております。伝えたいと思った時に踊るのと同じ気持ちで書いていますので、ときどき覗きにきて下さい。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

山元彩子

バラタナティヤムについて

インド四大舞踊のうち最も古い南インド・タミルナードゥ州の舞踊です。祈りの踊りとして10世紀頃に広く踊られており、20世紀初頭までヒンドゥー教の儀式舞踊として発達、神の召使い=デバダーシーと呼ばれる寺院直属の巫女たちにより、神前や宮廷で踊られていたもので、9~13世紀のチョーラ朝時代に全盛期を迎えました。現在の踊りは19世紀のはじめ頃に確立され、舞台芸術として踊られるようになった今日でも、基本形式が踏襲され、技法や演出には宗教舞踊の名残を留めています。

踊りでは、身体表現のみの部分ヌリッタと、手や表情を巧みに使いストーリーを表わす部分アビナヤとによって複雑に構成されています。バラタナティヤムの持つ力強さ・優美さは、シヴァ神の持つ破壊と創造に値するものがあります。シヴァ神はヒンドゥー教の中でも、厚く信仰されており、舞踊神ナタラージャへと化身します。ナタラージャの踊りは宇宙の力を表わし、創造・維持・破壊・体現・解放(人間の幻想から精神を)意味します。

公演活動について

《SALANGAI OLI》は「鈴の音」を意味します。インド舞踊はリズムが命。命を響かせる道具が、足に着けた沢山の鈴です。鈴の音色は踊っているダンサー自身を高揚へと導き、観ている観客の皆様の中にある鼓動を刺激します。

《UYIRIN OLI》は「命の音」の意味です。東日本大震災を機に、必要として下さる場所に赴き踊る活動を始めました。福島にはご縁があり、震災の半年前から頻繁に通っており、二日前にはいわき市におりました。「危なかった」と安堵しましたが、二日前までご一緒していた皆さんは...あの風景は...

踊る事が何の役に立つのか?と躊躇もしましたが、踊る事が命の輝きならばそれこそ私にできる事だと思い、必要として下さる方々が居る場所に赴いています。被災地の皆さんは頑張っています。返って励まされる事も多く、頂いたご縁を大切に私自身の命を輝かせるための活動だと感じます。共感して下さる方々のご支援をお待ちしております。

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