南インド古典舞踊バラタナティヤム|山元彩子:活動記録

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活動記録

Budhayati 2 ~目覚めの瞬間~

《ラクシュマン&山元彩子 リサイタル》

本日は皆様ようこそお越しくださいました。

これより「Budhayati 2 ~目覚めの瞬間~」を開演いたします。最後までごゆっくりお楽しみください。A.ラクシュマンの来日も今回で3回目。私も毎回参加させていただいております。坪井美香と申します。

第一部はヒンドゥー教の大事な神様シヴァ神が主人公です。そして、第二部はブッダが主人公です。

《第一部 シヴァ神》
第1幕 ナテーシャ・カウトゥワン

シヴァ神はブラフマー神、ヴィシュヌ神とともにヒンドゥーの三大神の1つ。シヴァとは必勝と言う意味で千にも及ぶ異名の持ち主。日本では七福神のあの大黒様として知られております。シヴァ神は三叉の鉾を持ち、額には第三の目があり、腰にはトラの皮を巻きつけています。生命力の象徴である蛇を体中に巻きつけ、髑髏のネックレスをかけ、頭の上に乗せている三日月はダルマ、すなわち、法と知恵を表しています。さらに、頭は永遠の命を表すガンジス川の女神ガンガーの住処でもあります。御神体はリンガと呼ばれる男性生殖器、子孫繁栄を願う人々の信仰の対象となっています。

この神様を語るときに忘れてならのいのはその二面性です。破壊の神とよばれ怒りで全てを滅ぼすこともあれば、限りない慈悲の心で人々を癒します。生と死、慈悲と恐怖、善と悪、聖と俗といった正反対の面を併せ持つ存在で、両性具有の神様でもあります。

ヨガやお琴の先生でもあるのですが、なんといっても踊りの名手。踊りの神、ナタラージャに化身した姿が、ここにある像です。小さいのでちょっと見えないと思いますけれども、右手には宇宙の創造を表す小さな太鼓を持ち、頭は蓮、右手は風、左手は火、足元は大地、そして、丸い輪は空を表し、その全てを司っています。

一曲目にご覧いただきますのは、ナテーシャ・カウトゥワンです。ある森の中、ヴィシュヌ神がシンバルをたたき、ブラフマー神が太鼓をたたき、シヴァ神が踊りを踊ると、神様も聖者も悪魔も皆祈りを捧げるのです。




第2幕 バルナム

さて、これからご覧いただきますのはバルナムです。主人公はやはりシヴァ神です。

偉大なるシヴァ神よ。私はあなたにお伝えするものです。どうか、そのお怒りを静めてください。そして、私たちをお守りください。あなたの言葉は甘い露のようです。この体に再び命を、そして、確信を与えてください。踊っているあなたの姿は、私たちを魅了します。どうか、恵を与えてください。あなたの長い髪、頭には三日月と、カンジス川を司るガンガー女神が住んでいる。体には蛇を巻き、腰にはトラの皮を履き。シヴァ神よ、あなたはチダンバラムの黄金に輝くホールで、舞を舞うのです。

それではバルナム、ナータクランジをご覧下さい。




《第二部 ブッダ》
第1幕

さてここから第二部、ブッダの世界です。お釈迦様...日本人にとっては、お寺もお釈迦様も身近なはずです。しかし、お釈迦様ってどんな人と問われると、意外に知らないものではないでしょうか。ヒンドゥー教では彼はヴィシュヌ神の9番目の化身とされています。残念ながら、その地位はあまり高くないようです。しかし、これはヒンドゥー教を広める際に、あちらこちらの偉大な人物を「ヴィシュヌの生まれ変わり」として信仰に取り込んでしまおうという意図があったからのようです。

お釈迦様のことを世界では「ブッダ」と呼びますが、ブッダというのは本来、固有名詞ではありません。それは「目覚めた人/真理を悟った人」という意味の一般名詞です。ですがやはり、ブッダといえば、あの仏教を開いた人を思い浮かべます。正確には「ゴータマ・ブッダ」といえばまぎれもなく「あのブッダ」を指します。

お釈迦様は実在の人物です。ヒマラヤ山麓のほど近く、カピラバットゥという都を中心として小さな国を治めていたシャカ族の王子として生まれました。生きた時代とされているのは紀元前5世紀前後とされています。現在この21世紀にも残るカースト制という身分制度は古代インドに伝えられていたヴェーダという聖典に基づいたものです。ブッダはその主な4つの階級のうち、王族や武士の属すクシャトリアでした。当時のインドにはコーサラ国とマガダ国という二大勢力があり、他の小国を従えていました。シャカ族はコーサラ国の属国でした。父は王様スッドーダナ、母はマヤ王妃です。生まれた王子はゴータマ・シッダールタと名付けられました。

では、お釈迦様誕生の物語のはじまりはじまり。生誕の地はルンビニーの花園です。臨月が近づいたマヤ婦人は、たくさんの供や次女を従え、出産のため実家のあるコーサラ国へと旅立ちました。その途中、一行はルンビニーの花園に立ち寄ります。うららかな日の光が満ち溢れ、花は咲き乱れ、木々には色とりどりの果物が実り、その間を鳥たちが飛び交い、こぞってマヤ婦人の訪れを歓迎します。婦人たちは風の音を楽しみ、花園をまるで鹿のように軽々ととびまわって遊んでいます。


第2幕

マヤ夫人はある夜、供に夢の話をしました。白い象となったブッダが天から降りてきて、一歩一歩近づいてくるとやがて私のお腹に入る夢を見ました。いったい、どういう夢なんでしょう?何かいいことがおこりそうな気がしている。

白い象は古代インドの人々にとって気高いものの象徴であり、その夢は尊く清らかな心の持ち主がこの世に現れるというお告げだったのです。婦人はその夢の直後にお釈迦様を身ごもったと言われています。


第3幕

うららかな陽の光が満ちあふれ、色とりどりに木々の茂る楽園で、夫人が木のひと枝をとろうと延ばした右手が小枝にふれるやいなや、その右腕からブッダが生まれました。

幼子はまばゆいばかりに輝き、7歩歩いて右手を挙げ、左手を下げて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんかゆいがどくそん)」と大声で言ったといわれています。この言葉の解釈には、人は誰も皆この世でただ一人の尊い存在なのだ、あるいは、私はいつの日か最上の者となろうなど諸説あり、論争の的なのだそうです。やがて天から冷たい水と暖かい水の、清らかな二筋の流れが、幼子の頭に注がれました。大地は風に揺らぐ船のように揺れ動き、雲1つない天から香しい青と赤の雨が降り注ぎまた。さわやかな風と輝く陽の光、燃える火は美しい炎をあげました。清らかな水をたたえた泉がわき起こり、人々はその泉で沐浴をし、動物たちは傷つけ合うことをやめ、病に苦しんでいた人々はみな癒されました。五穀は豊かに実り、国は平和で富み栄え、すべてが成就しました。シッダルタという名には「成就」という意味があるのです。

さて、ここはスッドーダナ王のお城です。マヤ婦人は生まれたばかりの幼子を連れて、王のもとに帰ってきました。なんと美しい子だろう。満月のように光り輝く顔、蓮のような目、愛らしい唇。この笑顔は全ての人を魅了せずにはおかない。天からの贈り物だ。私はなんと幸せなものだろうか。


第4幕

ある預言者が、「この子は全世界の王になるだろう。」と言うと、「いや、違う。王になるのではない。」と別の預言者が言いました。この方は将来必ず悟りを啓き、優れた聖者となるのです。そして、生きとし生けるものを救うでしょう。

第5幕

王子誕生のその喜びのさなか、産後7日目に母マヤ夫人が急に亡くなりました。マヤの妹マハーパジャーパティーは後妻となり、シッダールタのもとにやって来ました。マハーパジャーパティーには未来を見抜く力があり、シッダールタを見て言いました。この子は将来最も偉大な聖人となり、人々に尊い教えを伝えるでしょう。そして、その教えが世界に広まるのです。マハーパジャーパティーは生みの親にも劣らぬ愛を王子に注ぎ大切に育てました。シッダールタは父母の愛を一身に浴びて育ちました。


第6幕

シッタルーダは父母の愛を一身に浴びて育ったのですが、生来身体が弱く、寂しさを抱え、人の世の無常、哀しさ、矛盾に気づく感受性の強い少年でした。幼い頃のブッダにはこんな伝説があります。五穀豊穣を祈る祭りに参加した時のこと、王子は農夫が働く姿をじっと見つめていました。泥と汗にまみれて働く農夫は人間の苦しみの姿を王子の心に焼き付けました。鋤で掘り返された土の中からちょこちょこと虫が這い出てきたため、夢中になってみていると、どこからともなく小鳥が飛んできてあっという間に虫を加えて飛び上がり、その小鳥に今度はとんびが襲いかかり、つかみ去っていきました。自然界の弱肉強食の現実、そして、人間界の苦の現実を目の当たりにした王子は愁いに沈み、哀れみの情でいっぱいになり、近くの森の木下で瞑想に入りました。これがブッダ最初の瞑想と言われています。姿が見えなくなった王子を王たちが探しに行くと、そこに神々しいまでの王子の姿が...皆は思わず祈りをささげました。

実の母のいない空虚のせいでしょうか、ブッダには幼い頃から人の世の常ならぬこと、その真の姿を捕らえる感性が備わっていたようです。いつも美しく装い、全ての汚れから守られ、7歳になった王子は王に必要なあらゆる学問、武術、技芸を身につけていました。ですが、父王は予言されたように、いつか息子が出家するのではないかと恐れ、早く落ち着かせようと、世にも美しいヤショーダラ姫と王子を結婚させました。父王の配慮により、2人は不吉なもの、不幸なもの、不浄なものから隔離され、王宮の中で美しい音楽や踊りに囲まれ、何不自由なく日々を過ごしていました。しかし王子は、心楽しみません。やがて生まれた男の子にラーフラ(束縛)という名をつけました。

ある日王子は王様に外出を願いました。王は道を整備し、通りに立つ人々を厳選して、若く、健康な美しいものたちだけが息子の眼に触れるよう手配しました。しかし王子は老人、病人、死人を目にしてしまいます。実は、1日も早い出家を願う神々がしむけたのです。「いつかは死ぬということがわかっているのに、何故みんな平気な顔で生き、のんびりと生活していられるのだろう。」

王子は物思いに沈みます。王宮では王子を慰めようといつにも増して遊びの趣向をこらしました。花が咲き、鳥が飛び交う庭で、美しい女性たちが歌い、楽器を奏で、舞を舞っては王子に誘いかけます。人々は美酒に酔い、ごちそうは限りなく運ばれてきます。ですが、すべての生き物に病い、老い、死の苦しみがあり、やがてすべてが消滅するという根源的なこころの悩みを抱えたシッダールタの心は晴れません。日が沈み宴がはねて女たちも帰ると、急に華やいだ雰囲気は失われ静まり返りました。その様子を見た王子は、あらためて人生の無常を感じ取り、王宮に戻っていきました。

以来、何を見ても心満たされず、安らぐことのない日々を送っていましたが、ある日、心を鎮めようとひとり森へ入っていきました。木の根元で、修行者が瞑想していました。

「あなたはどなたですか?」
「私は生と死の問題を解決しようと思い、解脱を求めて出家したものです。生きる苦しみや迷いから開放されて、心の安らぎと不滅の境地を求め、修行しているのです。」

王子は喜びに震えました。「私も出家し、生まれ変わり死に変わる輪廻の苦しみから逃れ、不死の道を求めよう。」王宮に戻った王子は父王の部屋に入っていきました。「父王よ、どうか私の出家をお許しください。私は真の道を求めているのです。真実の安らぎを得たいのです。」

王は、これまでの不安が現実となったことを知りました。「王子よ、そのような思いは捨ててくれ。お前はまだ若い。今はこの世の楽しみを享受して、王家の繁栄を守ってほしいのだ。このような小さな国だ、いつコーサラ国に攻め込まれるか分からない。どうか思いとどまってくれ。そうすればどんな望みでも叶えてあげよう。」

「それでは、4つの願いがあります。それを叶えて下さるのなら父王の元にいつまでもとどまります。1つ目の願いは私の命が決して失せないこと。2つ目の願い決しては病気にならないこと。3つ目の願いは決して老いないこと。4つ目は、決して不幸にならないことです。」

「そんな途方も無いことを言うものではない。どれひとつとして人間として願いが叶うものはない。」
「では、こうした不安や苦しみを解決するために、私を出家させて下さい。」

王はこの後、王子の監視を厳しくし、さらなる楽しみを王子に与えよと家臣に命じました。部屋に戻った王子を、妻のヤショーダラ妃と、幼い息子ラーフラがやさしく出迎えます。美しく着飾った女たちも、心を尽くして王子の世話します。真夜中、王子はふと目を覚ましました。足の速い馬丁のチャンナを起こし、出家をするから愛馬のカンタカを連れてくるようにと命じます。そして必死で止めるチャンナに言いました。

「私はこれまでの生涯、肉体的喜びを味わってきたが、満足を知ることはできなかった。心の安らぎを求めて出家しようと言う私の意思は不動だ。」

王子が馬にまたがると、城門のかんぬきが自然に開き、誰一人目を醒すものはいませんでした。王子は夜明けにアノーマー河のほとりに着き、馬を下り、冠をはずして言いました。「これを王に差し上げて、私は苦しみ悩む生きとし生けるもの全ての安らぎのために出家して修行すると申し上げてくれ。悟りを得られないうちは決して戻らないつもりだと。」さらに身につけている装飾品をはずしました。「これらは母上とヤショーダラに渡して、私への愛情を捨てるようにと伝えて欲しい。」

馬丁チャンナの懇願はついに聞き入れられませんでした。愛馬カンタカも、別れを悟り、哀しそうにしていたと伝えられています。一人になった王子が修行者にふさわしい衣がほしいと願うと、不思議と向こうから黄褐色のぼろ衣をまとった猟師がやってきたので、衣服を交換してもらいました。そして髪を剃り、森の修行者にふさわしい姿になり、シャカ族の王子シッダールタは、ブッダになるべく「目覚めの時」を迎えたのです。


第6幕

ティラーナをご覧いただきます。およそ命のあるものならば、遠くにいるものも近くにいるものも、すでに生まれたものも、これから生まれるものも、生きとし生けるもの全てが幸せでありますように。祈りをこめて満開の蓮の花を散らして踊ります。




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